遺跡巡りやハイキングの合間に、三光丸へ!

株式会社三光丸 クスリ資料館

三光丸のテレビCMの昔と今

三光丸 旧CM 2012年現在の、三光丸CM

より大きな地図で (株)三光丸 を表示

三光丸

Since 1319

 三光丸は、鎌倉時代後期の元応年間(西暦1319~)には「紫微垣丸(しびえんがん)という名で造られていました。その後、後醍醐天皇により「三光丸」と名付けられたといいます。

 三光丸の「三光」は、日(じつ)・月(げつ)・星(せい)の光を意味しています。また、後述しますが「星」は「金星」のようです。三光丸クスリ資料館所蔵の古い版木(江戸時代)によれば、越智家第11代の当主、越智家武(いえたけ)が北極星の神より霊験を得て「紫微垣丸」の製法を授かり、その後南北朝時代にいたって、後醍醐天皇より太陽・月・星の神から授かった秘方を意味する「三光丸」の名を賜ったとされています。

 北極星の神から授かったという伝説はともかく、日本中世文化史の研究者である黒田智氏によれば、南北朝時代、後醍醐天皇の周辺には、日・月・星の三光を天皇権威と結び付ける「三光思想」が定着していたようで、有名な古典文学『太平記』にも、後醍醐天皇が倒幕を祈願した際に太陽・月・金星が並んで出現し、それをご覧になった帝が“自分の願いがかなう”と喜ばれた様子が記されています。

 三光丸の当主米田家は、中世大和国で勢力をほこった豪族越智氏の流れをくむ家で、越智党内にあって興福寺や金峯山寺、多武峰、春日大社など有力寺社との折衝役をつとめるかたわら、医薬の道を一手に引き受けていました。南北朝時代、越智氏は後醍醐天皇の南朝方に味方しており、後醍醐天皇による“三光丸命名”が実話である可能性は高いと考えています。

 また国旗・社旗の掲揚について、三光丸では、以下に示すような理由で毎日社員が交代で国旗・社旗を掲揚しています。

1)国旗・社旗の掲揚とともに、生かされていることに感謝し、今日一日の安全、無事を祈るため 2)朝、出社してくる社員にたいし、国旗・社旗が高揚されているのを見て、一日の仕事・研修の意欲を喚起させるため 3)お客様や通行中の方などに「当社は本日、営業しており盛大である」ことを示すため

降旗の際は、今日一日の社内の無事を感謝するならわしとなっています。

  • 三光丸 正面玄関01
  • 三光丸 国旗と社旗

和漢薬のふるさと三光丸を訪ねて

緑豊かな環境から、新しい伝統が生まれる

 大和盆地の南西部、西に金剛葛城山地が走り、南に吉野山系と接する奈良県御所市・高取町一帯は、日本文化の発祥の地であるとともに、わが国医薬の成り立ちに深い関わりをもつ、和漢薬のふるさととしてもよく知られています。

 古い街道を歩くと、白壁土塀の豪壮な家々に薬の看板が掲げられていたり、粉砕機械の音や生薬の香りが漂う、薬づくりの伝統を今に受けつぐ土地柄であることがわかります。そんな昔ながらの街の一角に、大和家庭薬の中でも老舗中の老舗といわれる、680年もの歴史をもつ健胃薬三光丸の製造元、三光丸があります。

 国見山の小高い丘陵を切り拓いた、約2万㎡の広大な敷地に、大空へ翼を広げたような寄棟大屋根の本店事務所、工場、倉庫等が周囲の緑と美しく調和し、落ち着いたたたずまいを見せています。 敷地内には、くすりの資料館や由緒ある稲荷もあり、明日香からひと足のばした観光スポットとして、見学に訪れるハイカーにも喜ばれています。

株式会社三光丸 上空写真

三光丸のあゆみ

  • 元応1~3年(1319~21)
    「紫微垣丸(しびえんがん)」と名付けられた薬(三光丸の前身)が作られていた。
  • 建武3年・延元1年(1336)
    「紫微垣丸」に対し、第96代後醍醐天皇より「三光丸」の勅号を賜り、薬の名称が変わる。
  • 天文19年(1550)
    京都の公家、山科言継が、日記の中で三光丸について度々言及している。
  • 天正1~文禄1年
    米田小重郎が織田信長の嫡男である織田信忠に三光丸を献上し、「軍中第一の妙薬にせよ」との言葉を授かる。
  • 延宝1年(1673)
    米田家の先祖が高野街道沿いの旅館に三光丸を置き、販売を行なう。
  • 安永1年(1772)
    米田文内が三光丸の配置販売を大和から伊勢、河内方面に広める。
  • 文政1~12年(1818~29)
    三光丸が近畿の行商で大和売薬の基礎を築く。
  • 慶応2年(1866)
    米田丈助が主導し、富山と大和の売薬業者が共存共栄のため、『仲間取締議定書連印帳』という紳士協定を結ぶ。
  • 明治30年(1897)
    三光団社が結成され、全国的に新規得意開拓を進める。
  • 明治32年(1899)
    三光丸同盟会発足
  • 明治37年(1904)
    三光丸の製丸が、それまでの手作業から石油発動機にかわり、生産量が大幅に増大する。
  • 大正3年(1914)
    五角形の薬包紙を実用新案登録する。
  • 昭和22年(1947)
    法人化し、株式会社三光丸本店となる。
  • 昭和32年(1957)
    自動包装機による包装を開始し、生産性と品質が向上する。
  • 昭和40年(1965)
    米田徳七郎舜亮(現シニアアドバイザー)が、取締役社長に就任。
  • 昭和60年(1985)
    配置販売員養成組織、株式会社三光丸配置研修部が発足。
  • 平成4年(1992)
    センブリのエキス化生産プラント完成し、自社で原料の完全加工が始まる。
  • 平成11年(1999)
    三光丸クスリ資料館開設
    同盟会100周年記念式典開催。
  • 平成18年(2006)
    さらなる品質向上のため三光丸のパッケージを一新、新充填・包装ライン稼働開始。
  • 平成24年(2012)
    株式会社三光丸配置研修部と資本増強のため合併し、株式会社三光丸となる。
  • 平成26年(2014)
    米田豊高が、取締役社長に就任。
  • 平成26年(2014)
    三光丸クスリ資料館が、『一般財団法人三光丸クスリ資料館』となる。
株式会社三光丸 クスリ資料館